たまゆらのなかのとわ

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新芽が掌をひろげています

今週は娘の外来受診と卒業式があります
親族は誰ぁれも気づかいもなしですが
学校の先生方が娘のために 受診後に教室で小さな卒業式をして下さいます

娘は学校に行くと微妙な機嫌になります
根拠を示す事は難しいですが (数字や実証)
娘には先生方の為人を見抜く能力がある様に思います


大人は建前を取り繕えば 人からの心象をある程度コントロール出来ると思っていますが
ホスピタリティを求められ 更に本当の奉仕の精神を求められる(この意識がないと辛い)
現場では その建前を見透かす事は割と容易であると思います



人間関係が完璧なるgive-and-takeでないと納得出来ない方と言うのは
本当のホスピタリティを発揮することは難しいと思います

笑いかければ微笑み返してくれる・・・ 
この常識とも言える法則が通用しない場面も
介護や看護の世界では常であると思います
(暖簾に腕押しならまだしも 暖簾が攻撃してきますもんね)

その事を完全な「苦」でしかないと捉えるのか それともその中に
光を見出す 見い出そうとする 見出せる この内のどれかの意識を
持とうとする者には 持とうとしない者が体験出来ない瞬間を
体験することが出来ると思います

それは金銭では得られない 稀有な体験である為 多くの人とシェアする事は
難しいのですが その意識が持てる人には
本当の心の財産の正体を知る事が出来ると思います


私の言っている事が キレイ事だと思われますか?
私は出来る人と出来ない人に分けているのではありません
これは得手不得手の問題でもありません
そして強要でもありません


本当の景色は混沌の中にあります
彼女(娘)はその事を日々 私たちに教えてくれます
私たちが手放したものを指示して(さししめして)くれています
そこへ向かうか向かわないかの違いで
向かう人にはその光が顔を照らすのだと思います

歓喜のみを欲するこの時世では 難しい事なのだと思います
そしてこの無垢な少女と 頑なな老人とでは違うだろうとも思います

が しかし人間の尊厳は有資格者のみにあるものでしょうか
残念ながら(ごめんなさいこれは皮肉です) 人間の尊厳は全ての人間にあるものだと思います
罪人にも善人にもあります
そのことを受け入れてからでないと 
進めない場所がある事は確かであると思います


抽象的な内容でした
お読み下さった方の時間を頂き 申しわけ御座いませんm(__)m