たまゆらのなかのとわ

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ある作業療法士

娘は1歳の誕生日を病院で迎えた

ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)治療の為 生後2度目の長期入院だった

入院中からリハビリも受け始めた

理学療法作業療法の組み合わせが望ましかった

作業療法士は若い20代の女性だった 名前もしっかり覚えている

1歳の娘はまだ 何でも口に持って行き それらを確認していた

土遊びでさえ 手に付いた土を口に持って行ってしまっていた

口に入れて危険なものは 阻止していたが 

玩具の類は娘がそうしたい(口に持ってゆき かじったりする)のであれば

それは娘にとって必要な事だと 私たち(親)は考えていた

ある日のリハビリで 予約の時間が大幅に過ぎていたが 目の前では担当の療法士が

高校生くらいの男の子の手のリハビリ中であった 彼女は私たちに見せた事のない熱心な態度であった

その仕事ぶりは実にやりがいを感じていると言った物腰で 自信に満ちていた

患者の男の子もリハビリによって 確実に前進している事を実感している様子で

2人の間には建設的で良好な関係性があると 一目で理解出来た


そして娘のリハビリに入った 1歳になったばかりであったが精神遅滞は明確で

言葉の理解は皆無であったし お座りさえ出来なかった

リハビリも恐らく 療法士にとったら歯がゆくやりがいを感じるには程遠い事であったと思う

娘は与えられるものをただ口にもってゆくだけであった

玩具たちはよだれ塗れで 後かたずけも大変であったと思う(玩具の清浄)

その日療法士がリハビリの最後にこう切り出した

「なんでも口に持ってゆく事が 大きくなっても癖として残るので
持っていったら全て取り上げて阻止して下さい」

その文言が含む意味を この療法士は理解していたのだろうか

それはただ口に持ってゆくことを阻止して下さいと言う指示だけではなく
(恐らく目的はそれだけであったと思います)

そこにはハッキリと 「この先の娘さんの発達は見込めません」と言う意味も含まれている事を理解しているのか
(恐らく理解していない)

主治医にも発達についての限界は個人差があると聞かされていたのに

この若くて どう見ても経験は数年の療法士に 娘の未来が予測出来るとでも言うのか

療法士とはそこまで見通せる資格でもあるのか きちんとしたデータがあるのか

私たちにはそうではない他の意味と 療法士の個人的意図があると考える方が腑に落ちた

データなど取れる訳がないのだ 統計など取れる訳がない事は明らかである

私たちは次回の予約はせず帰路についた


その後数年で娘は何でも口に持ってゆくことはしなくなった

私たちは娘のしたい様にさせ続けただけである

この結果をその療法士に告げたい気持ちで 今もいっぱいだが

彼女の姿はどこにもない 

出来る事なら 知的障がい児のリハビリには関わって欲しくない

彼女は彼女がやりがいを感じられる患者を選べば良い そしてその立派な職業を

誇りに思い 社会からも尊敬され そう認知されれば満足だろう

本心は誰にも視えないのだから・・・
誰にも・・・