たまゆらのなかのとわ

絵 声にならない声 本当の共時性

もうじき花祭りだなぁ

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幼稚園がお寺さんだったので 仏教には馴染みがあります 

私が生まれ育った地域は 歴史が深く地面を掘れば土器が出て 平家や渡来人の名残がそこここにあり

そして信長が作ったセミナリヨ跡があり 名の知れた殉教者が生まれた土地でもありました

セミナリヨについての教育は殆どありませんでしたが 地域には熱心な信者の方もおられて

そのお家の娘さんが同級生であったため 日曜学校に一度だけ参加した記憶があります

その時に聖母マリアトレーディングカードの様なものを頂いて 子ども心にその美しさや

西洋への憧れみたいなものも混じり 母親に日曜学校に行きたいとせがみましたが

そのカードも奪われ処分され 絶対に二度と行くなと叱責されたという悲しい思い出もあります

大の大人が神様にすがる様な様子(何故かは理解していませんでしたがそのお家のお母さまが泣いておられた)を目にし

とても興味深い気持ちになった事も覚えています 

リビングには亡くなられた子どもさん(頭にはきれいなレースの帽子)が お眠りになっておられるお顔の写真が飾ってあり

その事には少しギョッとした記憶もありますが それも含めて異文化というものに触れた瞬間でありました

大人が泣くと言う弱い姿を 皆の前でさらけ出す事に 興味がそそられたのも事実だと思います

大人とは横暴で勝手で怖いものだと思っていたからです

私は子どもの頃からそうして どこかしらで宗教と言うものに馴染んで来た様に思います

(その欲求みたいなものが 今の探求心に繋がっているのかも知れない)

子どもの頃にその教えにそった 規律正しい生活が身に付いていたら 

もしかしたら 疑う事なく もう少し楽に生きられたのではないかと考えることもあります

私の両親はやはり 要所要所での辛抱強さが欠落していました

私に出来ることは その罪を受け継がない事 赦す事で それが私に出来る親孝行でもあるのではないかと

考える今日この頃・・・というところでオチにしたいと思います

お読み下さった方 いつもありがとうございます

 

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