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たまゆらのなかのとわ

絵と詩  文 音楽 本 在りのまま 

パニック発作に思う

以前も書いたが 私の実家はクレイジーだ 実家と書くとそれ全体になるのだが 
私の気持ちとしては特に両親のことである

母親の性質は憤死の核を持っている人で 実際40代から降圧剤と利尿剤を飲んでいた
高血圧の原因は いわゆる生活習慣ではなく「器質」でもなく 「気質」であった

今になっては彼女の器を認め 過去のことはある程度は許せている
離れて暮らしているので実害も そうない

理性では理解しているが その奥では心の歪みと言うのか 思い癖の様なものがある
それを言葉にすると 「自分は嫌われている」「自分は不必要」
漠然としたレッテルの様なものが張り付いている感覚だ

30代後半 自分がパニック持ちであることを知った その頃は家事も床に就くまでに
完全にやり遂げていたので 殆ど眠っていない日が続いていた
いわゆる「精神世界」ヨガや気功などの本を読み漁り
精神力で肉体を超えられる方法があると思っていた

そんな矢先大発作が来た 
子どもの頃から原因不明の身体的症状(とにかく具合が悪くなる息苦しい等)
が突如として出現することがあった どのタイミングかなど客観的に分析することもなく
ただそれを訴えるのだが 周りの人間には理解してもらえず辛かった

大発作は運転中に来た 子ども達を乗せ娘の病院に向かっている最中だった
やっとの思いで到着し 到着と同時に一気に全身がしびれ末端の手指は折り曲がり
腕も自分の意志ではなく変なガッツポーズの状態で固まった
自分は死ぬのだ 何か重篤な状態に陥っていると思った

行先が病院であったことが幸いだった 数十分後には重篤ではないと医師から言われ安心した
安心したのだが立てなかった 血圧は今までにないくらい下がり吐き気は半端なく
実際吐いた そして人生初めての排尿介助を受けた

長々と書いてしまったが 人間には自分ではコントロール出来ない部分が多分にある
実際 心臓は動かそうと思って動かしているのではない

肉体システムはほぼ解明されているが なぜそこにそう在るのか 無いのではなく在るのかは謎である
西洋哲学や西洋医学が宗教理念をもとに やや強引にその扉を開いたとしても
言うならば神の意志には未だ到達していない

予測できるのは やはり人間はもともと自分以外(意志)の何かに支配されているという事
いやこれは予測ではなく事実だろう

これ以上語ると理解不能になるので ここで止めておくが

やはり人間は各々が確実に 自分は限られた存在で 命は稀有であるからこそ畏れ
足る事を知り 自らの存在を自覚し初めて 本当の人間社会を築くことが出来るのではないか
しいては地球と調和して生きることを 再び選ぶことが出来るのではないか 

もともと人間の欲はシンプルなのだ それを複雑にして本質から目をそらしている
もうその自覚すらないまでに堕ちてしまったが
自力で這い上がれそうにも思えない すぐにでもシフト変換が要される

そう考える時 やはり大いなる力が動くのは 時間の問題ではないかと言う予感がするのである
それは人間活動を介して起こるのか それとも大地や空が動くのかはわからないが

いづれこの世は再び攪拌(かくはん)の時期を迎えるだろうし(もうその活動に入っているのかも)
その時期を人間が早めているのも事実だろう

そして たかがパニックで飛躍しすぎた思考に至る自分も 人間社会ではマイノリティであっても
また そうでなくても 例外なくこの大いなる生命活動の一員なのだ

そう考える時 私の寂しさはいつしか消えるのです