たまゆらのなかのとわ

絵 声 共時性 日記

人間中心主義の未来はあるか=これは宗教批判につながるかも知れない

田舎の人と言うと語弊があるとは思うが 私の視点からこの言葉を選びます

田舎の人は猫を忌み嫌う人が多いです 「人間様」という言葉を使う事も常です

土地に根ざして生きているからと言って この神羅万象に感謝できる人ばかりでもない

田舎の人だからと言って 優しいとは限らない

人間中心主義を絵に描いた様な考えは 当たり前のことなのである

猫といえど それは「所有物」なのであってそれ以上でも以下でもない

飼い猫と言えばオンタ(オス)と決まっていて それは単に増えないからである

増えないとは自分の家で増えないという意味であり 去勢にお金は使わない

発情期には首輪を外し うるさいオンタは外へ出される (それらが野良を増やす一因)

庭は自然を模した立派な設えでも 愛でるのは希少な選ばれた植物であったり

野鳥でさえ 我が家を汚そうものなら 仕留めることもいとわない

在る時 我が家の玄関先にツバメが巣を構えた ヒナが孵化するとそのフンは尋常ではない

もちろんそれなりに世話や掃除はしたが ご近所さん(地下の人)は通りすがりに

眉をひそめた 在る時は野鳥は病気を運んでくるとも言われ

私はツバメの生態を説明した

人間は 他の生命が養い作ったものの中でしか 生きることができない

それなのにその営みから 人間だけを切り離して思考することをステイタスとすら考えている

そういういわゆるモラリストさんが ペットを似非管理している事実もある

だが私が言いたいのは そんな事ではない もっと奥の人間の心理であり その人間性である

今朝もある猿山の事情がテレビで流れていた そこでは堂々と猿を「観光資源」と言っていた

外来魚に至っても 我が淡海では有害でしかないが どこかの湖では観光資源(釣り客)として

大切にされていると聞く

猫ブームで ある島では観光が急増しているらしい そこでも何かしらの経済が回る

猫カフェに 猛禽類カフェ 金になるなら在り難い資源で大切にされる(日本は未だ動物の権利途上国)

動物(命)も人間の所有物なのである 故に管理されてこそ それは命として認められる

猫が庭にフンをしたところで 今の日本で人間が食いっぱぐれる事などないのに

この小さな命がすることも 人間は許せない それなのに人間の勝手の末に増え 増やされる命もある

(飼う(買う)側は無罪で無関係だと思っている)

いつか人間中心主義のつけは 巡ってくるだろう 

野良猫を忌み嫌う事を正当化するモラリストにも 平等に

猫やペットに格差を持ち込んだのは まぎれもない人間なのだ 

人間による命の選別が人間自身を追い込む日が 必ず来るのではないかと思う



追記:つらつらと誤字も気にせず書き綴りましたが 近代日本の人間性の形成にも
   西洋文化は強く影響している その中で未だ微かに日本人が日本人である何かを
   失わずにいるのは 「寛容力」かも知れない
   遠藤周作が表現する様に日本人が信じる西洋の神が 独自に解釈した神である様に
   正統な宗教支配の理念からは やや逸脱している そのことが幸いしている部分も
   否めないのではないか 
   本題からずれるが 西洋宗教を知る時 あの西欧人の暴挙が皮肉にも解せるのです
   では日本人とは何か そこにも もしかしたらその「寛容力」の秘密があるのかも知れない