たまゆらのなかのとわ

絵 声 共時性 日記

貧すれば鈍する

という言葉がある 

私の住んでいる所では病院には不自由がない 市内の大きな総合病院は 
礼儀のない若い研修医等が 患者に顎で指図する有様だった

私は何時からか 地元の小さな診療所に診てもらう様になった 
どれだけ設備が不足していようと 心の貧しい医者には診て欲しくなかったからだ

私と同世代の先生は患者の話しをよく聴き そして答えてくれた
たわいのない世間話にも耳を向け 簡素な住宅の一室は昔ながらの地元の医院といった印象で
郷愁すら感じた

地域には小児科も多かったが この診療所はその穴場的存在だった
どの医者も すぐ目の前には座っているが その距離は遠く感じる方が殆どであった
それが医者たるが如くに

評判は評判を呼び 診療所を訪れる患者が増えたのだろう
そして先生自体 その必要性を感じたのだろう 
数年後 その簡素な診療所は先生一家の居住も含めた 白く大きな診療所に成長した

簡素なセンスは引き継がれ ビジネス化する医療シーンで
過剰な宣伝や装飾的なデザインを施される医院が多くなる中 
私の中でのこの診療所に対する信頼を損ねる要素は この時点では心配なかった


お金は人を変えるということを聞くが その実例を目の当たりにすることは
それなりに悲しいものだ

忙しいとは 心を亡くすと書く 
機械的に変貌した先生は 以前の先生の形はしているが そうではない別物に変化してゆく
患者を数秒いや数分でさばくたびに チャリンチャリンと音が聴こえているのか

それでも他の病院の無礼さに怒りを感じることを思えば ここは良い穴場なのだろう

人は何を失えば鈍感にならざる負えないのか 
私はその生い立ちから 人が持つ肩書と言うものの匂いに鈍感だ
いや かえってその肩書がいわゆる世間ではもてはやされるほど 立派であるほど
無条件に 反射的に嫌悪感すら抱く

その条件反射を一蹴するはずだった 先生への信頼は 始めの印象が良かっただけに
怒りを通り越し 悲しみを感じるほどに崩れた

いやそれとも私は その肩書に重すぎる期待を持ち過ぎたのか
きっとそうだ 医者であろうと人間なのだ 
先生も心を軸に仕事が出来れば嬉しいはずだ 
だが全てにおいて今は数だけが先生を支配している
それだけのことなのだ

以来 その肩書に過剰に期待をすることはなくなった
それは悲しいことなのか それとも悟りに近い現象なのか 私には解らないし
そんなことはどうでも良いことだ

要は相手がどうかではなく 自分はどうかなのだろう
例え社会的に立派な肩書を 相手が背負っていようと 私はその人の奥を視るだけなのである

いつか光る何かに出会うことを 諦めない様に