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たまゆらのなかのとわ

絵と詩  文 音楽 本 在りのまま 

「欲」について書く時 どこから書き出して良いか悩みますが
私なりに進めて行きたいと思います

前にも書いたのですが 今バゲットにハマっています 近場で行けるところで駐車場が広い所は
大体制覇したのですが そんなパン屋の一店に あぁもうここには来ないかなと思ったお店がありました

そのお店は 天然酵母と自然素材や地産地消などを謳っておられました
その事がこのお店の自慢だと感じ 全粒粉のバゲットや甘いパンを数点買い求めました

お商品を選んでる時間 色々と違和感に感じていたのですが
このお店は色々な活動をされている様で その関連の書籍やイベントのポスター
そしてその時のお写真などが 主役のお商品であろうパンよりも目立っていたのです

食べ物を扱うお店なのに その壁やら パンのすぐ隣に雑貨があったり ドライフラワーがあったり
とにかくごちゃごちゃしていて まとまりのないお店でありました

そして何より そのご自慢のパンが輝いていないかったんですね 
あまり美味しそうでない・・・実際 私の心は踊らなかったのですが

何と言いますか こう言うと偏見に思われると思いますが いわゆるスピリチュアルの匂いなんです
(実際並んでいた書籍はそういう類のものでした)
私はこの数十年で思うのですが 「スピリチュアル」というものの 本当の意味が消え 
違うものにすり替わってしまっていると強く感じています

ですので前者の「いわゆるスピリチュアル」と奥歯に物が挟まった様な言い回しをしました
それとこの いわゆるスピリチュアルとやらは とっても欲深いとも感じています

実際このパン屋さんのそれ(違和感)は あれやこれやと宣伝している(貼り付けている)
そのごちゃごちゃ感が 私には欲深いと思えるのです

なんでパンでお客を喜ばせられないんやろ・・・と悲しみさえ込み上げました

例えば美容院等で 単純に技能で勝負しているお店と
そこそこ妥協する腕前で(美容院は相性もありますが)他のお商品を強く勧めるお店があるとします
また前者の店構えはとてもシンプルでも凝らしたインテリアで
後者の店構えはごちゃごちゃとお商品の宣伝のサンプルやポスターだらけで
そのインテリアの意匠が損なわれているとします
どちらを信用し またお願いしたいと思いますか?

たぶん私の感じていることは シンプルなことなんだと思います
そしてそのスピリチュアルという分野も 本当はとてもシンプルなものだと思います

個々が密かに抱く信仰心みたいなものであると思います
それらは 大々的に宣伝するものでもないし そしてそれらを元に金銭的利益を得ると
それはもう大切なスピリチュアルではなくなっていると 私は思います

沈黙は力と言います 
それがこの情報社会で大安売りされ その本当の魔法が消えていると強く感じる今日この頃です



尚 今回の記事も特定の方へ向けたものではありません
私個人がいづれ書こうと思っていたことです

誤字脱字チェックしていません また後日に加筆するかもしれません

forget me not

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ソーセージを フライパンの手前に並べた


そこが一番温度が高い ざっと焦げ目をつける


お気に入りの皿にのせ ケチャップにドライバジル


夏には生のバジルの葉に包む


林檎を剥こうかな


朝の情報テレビでは BGMの様に 悲しみかやら怒りやら


流行やらお笑いやらが 映し出される


日常という当たり前の中


私たちは 目から耳から そして朝食と一緒に


一種の麻痺薬を食べているのか


私は確かに ソーセージと涙を噛んだはずだ


画面の時間表示が25分を映した時


微かな憤りは自動的に消え 


きょうも私は「いってらっしゃい」と小走りに


玄関へ向かう


そうして気がつけばまた 同じ様な朝が来る


人はそれを「幸せ」と呼んでいる


当たり前という名の幸せと











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僕には与えられた窓がある


見える空の欠片から


僕は世界を創る


コラージュを集めて


きょう僕は春を創る


そして明日には冬を


そしていつか


誰も見たことのない


新しい季節を


それはいつか


当たり前に巡る季節になる


難解な命など


無い事を皆が知る


窓は始まりの種だと














金子みすゞさん

きょうは金子みすゞさんの詩を紹介したいと思います

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「大漁」



朝焼小焼だ
大漁だ。


大羽鰯の
大漁だ。


浜はまつりの

ようだけど

海のなかでは

何万の

鰯のとむらい
するだろう。


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「土と草」



母さん知らぬ

草の子を、

なん千万の

草の子を、

土はひとりで
育てます。


草があおあお

茂ったら、

土はかくれてしまうのに。





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彼女の詩は 幼い子から老人にも響くものがあります
それは彼女の自分の人生への目線でもあると思います

その詩の中には 決してきれい事ばかりではないという悲しみと
その悲しみから目をそらさない勇気を感じます

彼女の人生から 私は「ハッピーエンド」とは何かを想います

美しいものと 皆がそうではないと思うものへの 温かい目線が
彼女の詩には後者も排除することなく含まれています
全てを内包する「みすゞコスモス」です

そこに私はこの上ない敬意を抱きます

彼女は自死致しましたが その魂自体が天国であると確信します
ご興味のある方は みすゞさんの人生を知って下さい

晴れの月曜 これから外出なのだ

晴れが苦手 なぜなら眩しいのだ 春先は花曇りの日でも眩しい 

真夏の日差しとは角度やエネルギーが違うのか 春のそれは狂気にすら感じる


春はパステル色で ほんわかしている天国というイメージかも知れないが
 
それは違うと断言する 


この木の芽時の乱舞する様なエネルギーの強さは 相手のテンポなど お構いなしで放射する

そのある種の無秩序感も苦手なのだ


自分は愛されて当然と言う厚かましさが まるで思春期の少女の様に我先に争っている

それが私が持つ「春」のイメージ


日本には四季があって良かった

年中「春」なら それは破壊も等しい狂気だ

本当の狂気こそ地獄なのである


では さて


行ってきます

金曜の夜

今晩はパパが飲み会で 私は送迎の送だけ担当致しました リーマンは飲み会も仕事なのですが

きょうは焼肉と言うことで やや勇み足のパパを送りました 

来年度は昇格もほぼ確定で パパは支店長と相成る予定でございます 

年度末ということで 家族もガマン時であります 明日は久しぶりの土日offです



私は今年48歳になりました 酉年の年女です 自分があと二年ほどで50歳なんて(゚∀゚)もうどうしましょう

若い頃はロック歌手になるのが夢でした

今は菜箸片手にフレディになりきるのが関の山です 

ヘアスタイルはこだわりのロバート・プラント ヘアです もじゃもじゃのカーリーで

結構二度見されます 

50近いおばさんのカーリーヘア・・・

童顔家系なので 最近のこけて来た老け顔も自分的にはお気に入りです

アンチ・アンチエイジングが私のロック精神であります



ってまだ白髪が似合わないので 生え際の白髪染めが難儀です (-_-;) あぁ恐ろしき現実

早く白髪が似合う様に老けたいものです 


ではカッコいいフレディのお姿をどうぞ

http://t3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcS8j0zJcqEJS-pcDLvgD8mbOxbHkE8_ZhkopO7LpWWv4U8LgS0A

二年ほど前に購入しざっと読み終えてはいますが とにかく大作で内容は 私のスポンジ頭では切れ切れにしか記憶できません

ここで著者はNHK大河ドラマをはじめとする 多くのテレビドラマの脚本家達が誤った歴史認識により

史実を脚色しているかにも言及している

この御本に限らず 何気なく手に取った御本の中には 史実に基づいた個人的判断をされている内容に出会うことがある

それは本当に本屋にひっそりと並んでいる御本で 腑に落ちる簡素な内容であることも多いです

簡素であるということは 押し付けではない事を意味していると私は感じます

今でこそマジシャンが種明かしで営業をするが如く 真実を謳った本や有料メルマガが出回っているが

そういう類のものに飛びつくのは 私個人としてはおススメ出来ない 

何故ならそれらを真の個人の考えとするには 受け売り過ぎで エンタメの要素も否めないからである

それとこの本の何が違うのかと問われたら それは自力感でありましょうか

読むにあたって感情に訴えるスパイス的部分と 知識的要素としての部分のバランスが良い

それにエンタメ的なものに期待をしていては 到底読み進められない百科事典的な御本であるからです

著者のエネルギーには脱帽であります