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たまゆらのなかのとわ

絵と詩  文 音楽 本 在りのまま 

やきいもの歌

長男が小さい時 ポンキッキでやっていました

突っ込みどころもありますが ほぼ無条件で楽しい音楽です

ここしばらく頭の中で響きそうです

楽しいですよ どうぞ

あまねく照らす

彼はもう手に負えない 

そうして見放したあの人は

今 どうしているのだろう

本当に 本当に その時こそ

彼には 助けが必要だったのに

汚れきった 彼の汚れが 

自分を汚すのは まっぴらなんだ

そう言う君には 

沢山賛同者がいるだろうて

彼の事を見放したからとて 

誰も君を責めたりしまい

誰も彼を助けなくとも あのお日様だけは

過ちを犯した彼にも 平等に

巡り巡って糧をもたらすから

お日様と言う 本当の神様が

きょうもどこかで 彼を助けているだろうて

お日様と言う 本当の神様が

誰隔てなく 照り続ける限り

やがて 罪悪感にひしがれる君にも

わけ隔てなく 照り続ける

お日様と言う 本当の神様が














アンチ・カルマ論

私が人生に起こりうる事象について 考えるようになったきっかけは 人の何気ない差別心からです

こんな事がありました

顔に大きなアザのある女性がいました その女性のことを近所の女性たちは
「あの人は前世で悪い事した印がついてるねんで」
年配の方も子どもにまで そう教えていました 

アザの女性自身に きっとこの事は耳に入っていると思います
本当に気の毒でした

なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか 不思議でなりませんでした

そうして色々な本や宗教の勉強をし 人の話しを聞き 私は探求していました

しかしそのいわゆる「自然悪」 を探求すると 前世での行いと言う部分に行きつくのです
巡り巡って 元の差別心に戻った訳なのです

宗教の中には こういった差別を肯定する考えもあります

ヒンズー教などはカースト制度に観る様に 努力では変えられない身分という仕切りがあります
前世・今世・来世 という考えにはロマンもありますが その論には限界と言いますか
矛盾も存在します

カルマを超えることが容易ではないからこそ そこに有難味を感じるのでしょう
支配欲の深い人間がそこに目をつけ 人を支配した事は否めないと思います

宗教とはいつの時代も 人々の不安を苗床に生まれている様に思います

現代の自己啓発的考やスピリチュアルも そう言った流れから影響を受けていると思います
スピリチュアルに至ってはそのピカピカ善人のイメージの中に
カーストに観る 優劣思想がぎっしりと詰まっています(高次元だの低次元の霊だの天使だの)

色んな方の本を読み 自分は悟ったつもりでいる 神秘的な事を信じたいあまり 自分の頭で考える事 感じる事を放棄した人達が群がっています

そして決定的なことは こうした宗教や自己啓発・スピリチュアルの類の思想には
その根本に「罪悪感」を植えつける心理システムがあると断言します

支配する側と言うのは 自分の頭で考える人を一番嫌います

支配などと言って 大げさかも知れませんが これは夫婦間にも存在する 人間欲の一種です
人を支配したがる人 支配欲の強い人は 人を思想という枠にはめたがります
そして罪悪感を植えつけ自らを優位に立たせコントロールします

生きていれば良い事も悪い事もあります 悪い事が起きればいわゆるカルマ論等を持ち込み
罪悪感で縛り 良い事が起こればそういう思想のお陰だと吹きます(占いと言う統計学もその節がある)
そうして人をある種満足させ 支配し 信者を介して増強しようとします

そして思想間の争いが起きます

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きょうは文章に出す事が 本調子ではないのですが きょう どうしても書きたかったので
がんばりました

病気などで苦しんでいる 特にその状態が悪いほど(自然悪に近いほど)どうして自分が 自分だけが
と言った考えになりがちです

その苦しみから逃れたいことを否定はしませんが 
世の中にはこういう人の弱みに付け込み 我欲を満たせる事を好む人がいます

弱みは欲になり 欲と欲は相性が良いのも 人の世の常であります

思想という「道」に入ることは自由ですが 思想を独善的に振りかざす事が
世の中にどの様な結果をもたらしているかは 歴史がその証人であると思います

人は老い 病み 生まれ死す存在です
その事を いい加減人間は 受け入れなければいけないと
私は思います

病気はあなたが悪いのではありません それがあなたです 素晴らしいあなたです
そういうあなたを愛してくれる人は沢山います

はてなブログを始めて半年

はてなは使いやすいです とは言っても使いこなせてはいませんが(^-^;

なんでもかんでも繋がらないし アフィリエイトや訪問者数を気にしない私には居心地が良いです

記事によっては なんで? というくらい訪問者数があったり そんなドッキリも楽しいです

春は色々と忙しく 絵を描いたり 詩の次元に意識をシフトしたりすることが ままなりません

想いを言葉に出せることはとても有り難いと感じています

またそれに対して 読者さまからのレスポンスが 精神衛生上理想的な具合であります

私が書く内容は きっととても「変」な部分が多いと思います

もちろん書く以上は どの様な反応も受け止めるつもりで書いております

これからも 色々と拙い部分があるかと思いますが 

どうぞよろしくお願いします

アニー・ローリー

名曲アルバムが好きです

きょうは美しい曲をどうぞ

障がい児を授かって

最後の最後まで 自分は貧乏くじを引いたと認識する親は救いようがない

一番大変なのは 子ども自身なのである 

それなのにいつまでも 己(親の方)のプライドにすがっていては 

子どもに申し訳ないと 私は思う

この子らの 親である覚悟も持つべきである 己が汚れることに躊躇している場合ではない

「あなたはそうできるからいいじゃない」と言う声が聴こえる

そうだ出来ない親もいる そういう親が自らの保身の為の憂さ晴らしをしている姿ほど

見苦しいものはない 

世の末を 益々感じる 最も悲しいレベルの事象だ

目の前に起こる事柄は その人に必要なものを養う為に出現していると

感じずにはいられない 

腹ぁくくりやがれ! 意固地になってんじゃねぇ! 涙と鼻水垂らして子を護れ!

くだらねぇメンツなんか捨てやがれ! 世の中勝ち負けじゃねぇんだよ! バカか!

なんでもかんでも人のせいにしてんじゃねぇ! 

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色々と重なっておりまして今日は 悪い言葉使いで ごめんなさい

たぶんリアルでも 目の前にこういう親御さんがおられて グダグダ相談されても

同じ様に言うと思います

ドン引きでしょうが それが私のプライドではなく「誇り」だからだ

パニック発作に思う

以前も書いたが 私の実家はクレイジーだ 実家と書くとそれ全体になるのだが 
私の気持ちとしては特に両親のことである

母親の性質は憤死の核を持っている人で 実際40代から降圧剤と利尿剤を飲んでいた
高血圧の原因は いわゆる生活習慣ではなく「器質」でもなく 「気質」であった

今になっては彼女の器を認め 過去のことはある程度は許せている
離れて暮らしているので実害も そうない

理性では理解しているが その奥では心の歪みと言うのか 思い癖の様なものがある
それを言葉にすると 「自分は嫌われている」「自分は不必要」
漠然としたレッテルの様なものが張り付いている感覚だ

30代後半 自分がパニック持ちであることを知った その頃は家事も床に就くまでに
完全にやり遂げていたので 殆ど眠っていない日が続いていた
いわゆる「精神世界」ヨガや気功などの本を読み漁り
精神力で肉体を超えられる方法があると思っていた

そんな矢先大発作が来た 
子どもの頃から原因不明の身体的症状(とにかく具合が悪くなる息苦しい等)
が突如として出現することがあった どのタイミングかなど客観的に分析することもなく
ただそれを訴えるのだが 周りの人間には理解してもらえず辛かった

大発作は運転中に来た 子ども達を乗せ娘の病院に向かっている最中だった
やっとの思いで到着し 到着と同時に一気に全身がしびれ末端の手指は折り曲がり
腕も自分の意志ではなく変なガッツポーズの状態で固まった
自分は死ぬのだ 何か重篤な状態に陥っていると思った

行先が病院であったことが幸いだった 数十分後には重篤ではないと医師から言われ安心した
安心したのだが立てなかった 血圧は今までにないくらい下がり吐き気は半端なく
実際吐いた そして人生初めての排尿介助を受けた

長々と書いてしまったが 人間には自分ではコントロール出来ない部分が多分にある
実際 心臓は動かそうと思って動かしているのではない

肉体システムはほぼ解明されているが なぜそこにそう在るのか 無いのではなく在るのかは謎である
西洋哲学や西洋医学が宗教理念をもとに やや強引にその扉を開いたとしても
言うならば神の意志には未だ到達していない

予測できるのは やはり人間はもともと自分以外(意志)の何かに支配されているという事
いやこれは予測ではなく事実だろう

これ以上語ると理解不能になるので ここで止めておくが

やはり人間は各々が確実に 自分は限られた存在で 命は稀有であるからこそ畏れ
足る事を知り 自らの存在を自覚し初めて 本当の人間社会を築くことが出来るのではないか
しいては地球と調和して生きることを 再び選ぶことが出来るのではないか 

もともと人間の欲はシンプルなのだ それを複雑にして本質から目をそらしている
もうその自覚すらないまでに堕ちてしまったが
自力で這い上がれそうにも思えない すぐにでもシフト変換が要される

そう考える時 やはり大いなる力が動くのは 時間の問題ではないかと言う予感がするのである
それは人間活動を介して起こるのか それとも大地や空が動くのかはわからないが

いづれこの世は再び攪拌(かくはん)の時期を迎えるだろうし(もうその活動に入っているのかも)
その時期を人間が早めているのも事実だろう

そして たかがパニックで飛躍しすぎた思考に至る自分も 人間社会ではマイノリティであっても
また そうでなくても 例外なくこの大いなる生命活動の一員なのだ

そう考える時 私の寂しさはいつしか消えるのです