たまゆらのなかのとわ

絵 声 共時性 日記

てんかんと変性意識

てんかんを患っていた偉人をざっと書き出してみました





ピウス9世 (カトリック教会の司祭)
ジャンヌ・ダルク (カトリック教会の聖女)
 ギュイヨン夫人 (神秘主義思想家)
 ジョセフ・スミス・ジュニア (末日聖徒イエス・キリスト教会の設立者)
リジューのテレーズ (カトリック教会の聖人)
パウロ (新約聖書の著者の一人)
 アビラのテレサ (スペインのローマ・カトリック教会神秘主義思想家)
 ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ (イスラム教の開祖)
エゼキエル (預言者)
スウェーデンのビルギッタ (スウェーデンの聖職者)
 ソクラテス (哲学者)
 エマヌエル・スヴェーデンボリ (科学者・政治家・神秘主義思想家)
カール・グスタフユング (精神科医・心理学者)



仏陀てんかんもちであったらしいです

てんかんもちが ナチュラルな変性意識であるならば

その反対もおられて LSDノーベル賞を取られた方なんかも有名ですね

世の中にはこの変性意識を強く求める方々が結構おられるみたいです

大麻なんかも推進派の人は医療にと訴えられていますが

そういう声はあれですかね うちみたいな当事者が活動されているのか疑問です


娘は話せないので 発作時(特に軽発作時)にはどのような状況に自分が置かれているのかを

説明する事は出来ません

てんかんの中でも側頭葉てんかんは 変性意識(幻覚)の状態になる事があるらしいのですが

娘の場合も側頭葉でも脳波の異常放電が起こっているので

もしかしたら何か観ているのかも知れません 


重度の知的障がいのはずなのに 不思議なタイミングで意思の疎通をしっかり感じる時があります

そういう時 言葉は進化した人間のコミュニケーションツールであると

人間自身は認識しています しかし もしかしたら言葉や識字という部分は

本当はものすごいアナログなのではないかと疑ってしまいます

それが時折 確信に変わる瞬間が増えて来ています

言葉ではない次元を介して 繋がっている

娘はここに居ながら別の次元に多く居るから 

それがこの次元では「障がい」と認識するしかないのではないか

実は そんな風に感じています


変性意識を求めるあまり 危ないものに手を出す方も昔からいらしゃいます

昔 町の薬局に勤めていたのですが 

毎週ある一定の市販薬を二箱買いに来られる方がいました

いわゆる見た目が不良な子も居ましたが 中には人生に苦しんでおられるのだなと

感じる方もいらっしゃいました

ある時までは何事も悟っていないふりをして 「お大事に」と言うと

何とも複雑な表情でお帰りになられます 

程なくして大量買いが出来なくなり お断りする様になりましたが

後者の方は何とも悲し気にすんなりお帰りになられる反面

如何にも不良の若い子などには 凄まれたりした思い出があります


何をしようが合法ならば自由であるとは思います

でも私などは 人間の脳みそがその領域を決められているのには

意味があるのではないかと思います

変性意識の向こうに在るものを 今の人間には受け止められないのではないか
(精神的にも肉体的にも)

それが出来る人 出来ない人が居る以上 ある程度の規制は必要であると思います

それが親でもある私の立場からの意見です

医療目的で作られた市販薬でさえ その目的から逸脱し遊びで使用する人がいます

大麻もしかりの様に思います

それ自体の害云々よりも それが入り口になり深みにはまる危険性があります

自由ほど難しいことはありません

書き足りませんが きょうはこの内容を書きたいと思いました


参考書籍


honto.jp

日記

お暑い盛り 皆さまは如何お過ごしですか

私は昨日 めばち子が痛かったです 

稲花粉か何かの花粉だと思うのですが

目が痒くてこすってしまいました

そこから今朝はそちら側のリンパがあっちこっち腫れて

体もだるく家事もおぼつきません

喉も何となく痛いので そういう時は

ティートリーオイルの湯気を吸うと酷くなりません

きょうはそれでもなかなか痛みが取れないので

ずっと濃いめの緑茶を飲んでいました

夕方やっと楽になった気がします

貧血の具合を診てもらいに行きたいのですが

病院に行くと何かもらいそうで

ついつい後回しになっています

一昨日はショッピングモールに行き とても素敵なカップを見つけました

4客で3000円と手軽なお値段で ベトナム風の柄です

今朝湖畔をドライブした時 比良山系がとても美しかったです

田んぼの稲穂も所々垂れていました

トンボも沢山飛行していました

これからは秋を数える楽しさがあります

残暑 皆さまも無事にお過ごし下さいまし

映画「新少林寺」エンディング曲「悟」



慈悲の心が永久の平安を生み

愛の力で万物は結ばれる

なぜ この因縁に気付こうとしない

悟りを得て一切を受け入れよ

道に背き惑うことなかれ

心に宿る欲と執着を捨てよ

望むほどに己を縛り

捨て去るごとに煩脳は消えゆく

縁を頼りに苦難を乗り越える

縁なき想いは内に秘めよう

俗心を断てず振り返る時は

あなたの幸せをそっと祈る

空を悟れば心は解き放たれる

真理を知れば新たな世界が開く

因果の行く末に想いを巡らせても

生死の瞬間は誰にも分からない

憎しみを捨て無我を得よう

恨みを捨て喜びを得よう

欲にまみれて悪に手を染めた時

悔い改めればいつか救われる

どんな偽りも天をだませはしない

ただ心の溝を深めるだけ

人々が欺き合えば信じあう術を失い

猜疑心が己を苦しめる

慈悲の心が永久の平安を生み

愛の力で万物は結ばれる

この因縁に気付くべきなのに

悟りを得て一切を受け入れよ

ただあなたの幸せを願いながら


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


この映画が好きです ジャッキーチェンが出ていますが 脇役なんです

理由は解る気がします (ジャッキーは好きですよ)

この曲が流れながらのエンディングが感動です


昨日あるアメリカンポップが頭の中で二度も流れて(ジャーニーのセパレイトウェイズ)

冒頭の歌詞が「世界が二つに別れても」なんですね(その後の歌詞は男の戯言みたいなのですが)

有事の匂いがしています 何かがせめぎ合っています


P.S 今GYAOで無料で観れる様です(それみて思い出しました)

あの日

ヒリヒリもしない

剥けた皮膚を背負い

倒れた先に微かに見える

あの日の野花に

微笑みながら果てる

この身に何事が

起こったのかさえ

知らぬまま

全てのあらゆるものへと還る

重ねられメラメラ昇り

黒き雨となり

地面に染み込む

何時しか地を割り芽吹く

そこに揺れる野花に

ただ深々とお天道様の愛を受け

また全うする

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八月九日

headlines.yahoo.co.jp

原爆死とは直接的な事のみを示す事ではない

被ばく者と認定されることは ある意味そのレッテルを貼る事で

被爆者であることを示し 周知させ国からの保護を受けると言う等価交換(等価であるかは疑問)

それは障がい者認定にも通ずるものがある

裏を返せば「被ばく者」「障がい者」と公表すると言うことは

別のリスクも生む

被ばくに関しては 関連する差別がどんどん生まれた それらは社会問題にも上がらない

ひっそりとした差別だ 

障がい者にあたっても 直接的排除ではない ひっそりこっそり行われる排除は表に出ない

笑顔で接するも 触らぬ神に祟りなし それらは結婚や就職という節目で

ひっそりこっそり行われる

障がい者枠も限られていて次男のような軽度障がいの場合等は
就職できなくなってきている)

それこそが最も恐れるべき差別の本質なのだ

そこで選択は二分する 

秘密は墓場まで持って行かれてこそ 本当の秘密

秘密とは表に出ないものの事を言う

したがってそれらが公に議論されることは永遠にないのである

秘密を抱きし者は 声高らかに自らの立場を保身しない できないのだ

私などは思う 体制だの主義だのと言って 人間社会を律するなど

如何に表面的であることかと

結局のところ どう生きるか腹をくくるのは己自身なのである
(公にするか懐にしまうか決めるという意味)

サバンナのライオンが「もっと獲物を獲れやすくしてーな」とは言わない

その比喩をあざ笑うのなら 延々と議論することは

今のこの日本においては 未だ娯楽の域なのではなかろうか

珠玉混合の世の中で 珠のみにせよなどと言うのは

この地球上で人間だけではなかろうか

負を受け持つ末裔として想うこと

そして淘汰とは決して悲しみではないことを

一瞬の中の永遠で 私は見つけたい

headlines.yahoo.co.jp




㋇㏧

ドラマ

テレビドラマはあまり好きじゃありませんでした

二十代の頃も みんなが観ている「トレンディードラマ」も一切知らず

会話がチンプンカンプンで変人視されました

実家にいる頃は食事以外は殆ど自室で読書や音楽鑑賞をしていて

テレビはあまり観ませんでした

それは居間に居たくなかったからだと思います


夫は家に数台のテレビがあった様で テレビっ子です

夫はドラマが好きです

その影響で私も観る様になりました


今は作品によっては朝のドラマを観ています

現在放送中の「ひよっこ」は何度も泣いてしまいました

登場人物がみんな良い人なんです

大抵 歪んだ人が一人二人は登場するのですが それが殆ど無い


なんともあり得ない 本当にドラマチックなんです


夫が私にこんなことを言った事があります

「●●●(私)は 今まであまり良い人には出会わなかったんだね
だから僕みたいな凡人を尊敬してくれるんだ」

確かに自覚があります 初めて見る男性である父も 夫とは比べものにならないくらい

「あかん」人です (ダメと言う意味)


だけど 私が夫を尊敬する理由はそれだけではありません

夫の実家も 決して温かい家族ではないと思います

その中で育ち 歪んだ目と心を持たなかった夫を尊敬しているのです


ひよっこ」に登場する実(みのる)さんも そんな夫の様に本当に誠実で優しい人です

私はこれからも私と夫が作った家庭を

自分が望んだ温かい家庭にしていたいと 朝のドラマを観て また強く思いました

テレビの普及を「日本人口総●●化」と称した知識人がいた様に思いますが

テレビも受け手の感受性ひとつで 如何様にもなります

作りもののドラマも捨てたもんじゃないと

今の私は思えます

小さい人

小さな子がトコトコやって来て質問する

「どうして車椅子なの どうして変なの」

真っ直ぐな目で思うままの質問 曇りのない疑問に

微笑む そして答える

「この お林檎もそこの胡瓜も ワンコも小鳥も自然のものだよね」

うなずく子

「おばちゃんの子どもも おばちゃんもあなたも自然から生まれたと思うんだ」

少し考えている様子

「自然がすることには 計り知れない事もあるんだよ」

遠い目の子にバイバイする

理解させようなんて思わない ただ在るがままを話す

その子がまた何時か考えれば良いし 忘れても良い

その一期一会が素敵

子どもは知識で塗りたくらないから素敵

真っ直ぐだから素敵